私の失敗が私以外の誰かの学びになることが不快だ。
私が転んだことで、後ろを走っていた人たちがそこに段差があることを知り、私を追い抜いていく。
私の不幸が誰かの幸福の手助けになることが気に食わない。
世界は自分を中心に回ってはいない。誰かの不幸を私だって享受しているに違いない。人は皆平等なのだ、と知人が言っていた。
しかし、私という世界は私がルールである。法律を守るか否かは私自身が決めるし、パチンコ店員になっても換金所の場所を教えることだってできる。
世界の秩序は一定でも、私の体は私が動かすことのできる範囲で自由だ。なにをしたっていい。私の世界は私が主人公なのだ。
私の代から校則が厳しくなることは許せても、下の代から校則が緩くなることは許せないような子どもだった。後者は自分の待遇なんてなにも変わらないのに。
誰かが、これから自分より得をすることが許せない。どうしてこんなに卑屈なのだろうか。
長女に生まれ、そういうことの連続だった。
私の提案で周囲が笑顔になることが気に食わなかった。
どうしてこんなに卑屈なのだろうか。
今も本質は変わらなくて最低だけど、なるべく人に優しくしたい。