幼稚園に通っていた頃からずっと、本が好きだった。

私の本好きは特に中学3年までが顕著で、部活をするよりも、友達と遊ぶよりも、テレビを見るよりも、ゲームをするよりも、授業を受けるよりも、なにより本が好きだった。

私立の小学校でバカでかい図書室があったことと、父が本だけは好きなだけ買いなさいと言ってくれたことがそれの助長だったと思う。感謝。

耳から入る情報を処理するのが苦手なのだと思うのだけれど、とにかく人とペースを合わせることが苦手な私は、集団行動はもちろん、一定のペースで流れて感情の誘導をしてくるワイドショーやバラエティ番組が苦手で、いつも本と一緒にいた。

しかし、高校生になってスマホを持ち始めてから私の生活は一変した。掲示板やSNSは、私に自己顕示欲の満たし方を示した。私は本を読まなくなった。

 

だから私の語彙力は中学3年生の頃から変わっていない。アウトプットだけをし続ける私だから、思想だって中学3年生の頃からきっと変わっていない。

 

こんな私はいつまで経っても自己顕示欲を満たせないので、最近また本を読もうと思っている。

今のところ、興味を持てるのは哲学本と恋愛小説だけである。悲しい。何も変わっていない。自分の興味のある分野だけを突き詰めているだけで人格は高潔になりうるのか。とりあえずはインプットを貪欲にして、人間として進化したい。

周囲の人間の多くはアウトプットが少ないとされている。私って特別なんだよね。なんか。そういうところある。

 

今月の目標:謙虚・質素・あわてない

問題『半額よりも2割引のお寿司を買った時の方が嬉しい気持ちになった。いったいなぜ?』

答え:私が相対主義者だから。

 閉店間際のスーパーで寿司を買った。そのスーパーでは、寿司は全てその日の9時に消費期限が切れることになっていて、閉店の30分前には、必ず全ての寿司に半額シールが貼られている。

 しかし、私の食べたい「穴子づくし」だけが、依然2割引のままであった。店員は締め作業をしており、確実にその商品が視界に入っていた。その時に私は悟った。彼はこの「穴子づくし」を閉店後に手に入れようとしているのだ。客の誰もが「穴子づくし」に羨望の眼差しを向けては、2割引のシールを見るや否や、エキストラの寿司たちに手を伸ばしていた。少なくとも私にはそのように見えた。

 そこで私の天秤は傾いた。意気揚々と2割引の「主役」をかっさらい、レジに差し出した。店員の悔しそうな顔。私はその瞬間、きっとそれを食べる時以上のエクスタシーを感じた。

 

 

 相対主義者が皆こうであるとは思わないが、私のこの価値観は確実に私を醜く、稚拙な人間たらしめるものであると言えるだろう。

 

 思えば私の座右の銘であるJ.S.ミルの "It better to be a human being dissatisfied than a pig satisfied; better to be Socrates dissatisfied than a fool satisfied." なんて名言も相対主義そのものではないか。 

 

 義務教育現場も絶対評価となって久しいが、「選ばれる側」の当事者であるという自意識から抜け出せない限り、私は相対主義の檻から抜け出すことはできないだろう。

 

 だれかたすけて〜(小泉花陽 CV:久保ユリカ

 

【備忘録】わたしのすきなひと

※別に特定の誰かへのラブレターではないです。強いて言うなら妄想に近い。

 

私の好きな人は、優しい。私だけに優しいわけではなく、誰にでも優しいところが、好きだし、でもちょっと嫌になる時もある。私が何をしていても大抵は隣で笑っている。一見興味のない顔で笑っているけれど、私を見てくれていると知ってからは、好きな笑顔になった。

私の汚い部分を受け入れてくれる。だけど、一緒に汚れることはしない。そこが好き。白すぎて眩しいくらいの正義ではないけれど、私を守ってくれることはなさそうだけれど。正義のヒーローとか、白馬の王子様とかはきっと私には眩しすぎて無理なので、貴方くらいがちょうどいい。

 

私の好きな人は、現実主義だ。いつも何かを諦めていて、寂しそうな目をしている。将来に希望なんてなくて、それでも信仰に溺れたり、虚構を愛したりしない人。

私は弱い人間なので、すぐに何かに縋ろうとしてしまう。でも貴方は、私を連れ戻そうとなんてしてくれない。私がなにかに傾倒しても否定してくれないのだろうか、そんなところでさえ愛おしい。あるいは、私は貴方に傾倒して心酔して依存しているのだろう。でも、私の好きな人はきっと、私のなかになにかを残してはくれない。私が貴方と全く関係のない場所で幸せを築いて、笑っているほうが都合がいいのかしら、と思う。

 

私の好きな人は、信念を持っている。それがくだらないものでも、高貴なものでも、価値に大差なんてない。なにかを人より知っていて、なにかを人より知りたがっている。私の知らない世界を、別に教えてはくれないけれど、みせてくれる。

たまにどこか遠くを見ていて、その時は私のことは見ていない。さみしいけれど、そんなところも好き。貴方が私よりずっと大人びているものだから、科学と哲学は繋がっていると思う。

 

私の好きな人は、かわいい。理由はない。あるとしたら、遺伝子が求めているのだろう。

 

 

 

一喜一憂させる女になりたい

途中までかいた下書きを投稿します。続き書くきぶんじゃなくなったので 

 

受験期に学校や塾で「(模試の)結果に一喜一憂するな」と諭された経験がある人は少なくないと思います。

一喜一憂:環境や状況の変化によって、喜んだり悲しんだりすることを意味する語。あるいは、些細な物事に振り回されるさまを意味する。(weblio辞書より)

私は短絡的で計画性がなくて理論立てて物事を考えることが苦手なので、一喜一憂しやすい正確であると自負しています。かなりメンタルが良くない人。

 

感情が動くという現象には、内的要因と外的要因の二つが関わっています。

今回は外的要因の話です。

私は、圧倒的存在で人を一喜一憂させる女になりたい。

数年前まではなるべく誰にも自分の影響を与えないように、邪魔にならないように、窒素*1のように生きていこう…と思っていました。

よく「空気のように」って言いますけど、あれってなんか傲慢な気がして好きな言い回しではなかった(化学エアプなので全然 的外れれそう)。

それが今は依存物質のような存在になりたいと考えるようになりました。

まあ昔からそういう気質はありました。ストーカーしてたし…

 

 

*1:よく「空気のように」って言いますけど、あれってなんか傲慢な気がして好きな言い回しではなかった(化学エアプなので全然 的外れれそう)。

私の失敗が私以外の誰かの学びになることが不快だ

私の失敗が私以外の誰かの学びになることが不快だ。

私が転んだことで、後ろを走っていた人たちがそこに段差があることを知り、私を追い抜いていく。

私の不幸が誰かの幸福の手助けになることが気に食わない。

 

世界は自分を中心に回ってはいない。誰かの不幸を私だって享受しているに違いない。人は皆平等なのだ、と知人が言っていた。

しかし、私という世界は私がルールである。法律を守るか否かは私自身が決めるし、パチンコ店員になっても換金所の場所を教えることだってできる。

世界の秩序は一定でも、私の体は私が動かすことのできる範囲で自由だ。なにをしたっていい。私の世界は私が主人公なのだ。

 

私の代から校則が厳しくなることは許せても、下の代から校則が緩くなることは許せないような子どもだった。後者は自分の待遇なんてなにも変わらないのに。

誰かが、これから自分より得をすることが許せない。どうしてこんなに卑屈なのだろうか。

 

長女に生まれ、そういうことの連続だった。

私の提案で周囲が笑顔になることが気に食わなかった。

どうしてこんなに卑屈なのだろうか。

 

今も本質は変わらなくて最低だけど、なるべく人に優しくしたい。

 

 

目標をもって生きている方が偉いって本当ですか?

ボランティアをしている人、募金をする人、エコ商品を多く使う人、節電をする人、電車で席を譲る人、目標をもって行動している人、人の彼氏を横取りしない人、毎日学校に行く人、仕事をしている人、勉強を頑張った人、運動を頑張った人は素晴らしい人間でしょう。

では、優先席に座る人は、ゲームばかりしている人は、燃費の悪い車に乗る人は、目標を持たないでボーっと生きている人は、人の彼女を寝取るのは、不登校は、無職は、運動が苦手な人は、素晴らしくない人なのでしょうか。

 

多様性多様性言うてますけども、それって誰のための多様性ですか。

人の行動の背景要因によってその事象の持つ意味が大きく変わるのだから裁判はAIではなく人が行わなければないのでは。

 

最近、妙にキレやすくなっていていけない。世の中の全てが敵に感じ、まるでAdoだ、ペシミスト恥ずかしい。

穏やかでいたいけれど、お金と時間の余裕がないと人ってちゃんとできないよ、、

 

雪道は、次に歩く人が自分より楽になるから気に食わない。

オタク・コンテンツが日の目を見るようになったのは、つい最近になってからのような気がする。アニメや漫画、ライトノベル作品が次々と実写化し、ボカロPが地上波で活躍し、ロリータファッションやコスプレイヤーは羨望の目を向けられるようになった。

しかし、我々はオタク文化が蔑まれ、疎まれ、気味悪がられていたことを忘れることはないだろう。

 

私の両親はいわゆるインターネット弱者であった。パソコンの電源ボタンがどこにあるのかわからない、「何も触っていないのに壊れてしまう」、Excel表計算は信頼できないから電卓で確かめる――そういった人種である。

彼らに一貫しているのは、英語を読めない・説明書を読まない・自分で調べることをしない(あるいは図書館と信頼できる先人の知識しか信頼できない)ことであると私は思う。彼らは、エラー表示が何を意味しているのか分からないし、電源ボタンがどこについてあるのか書いてあるペラ紙を捨ててしまうし、”ggrks”が通じない。

そんな家庭環境で育ってきた私がインターネットの民となったきっかけは、先に記したオタク・コンテンツとの出会いである。

 

初めて俗に言うサブカル文化と触れ合ったのは中学一年生の時である。当時の友人が聴いていたボーカロイドの曲に衝撃を受けたことは記憶に新しい。

 

youtu.be

 

ブレス音が不快で人が歌う音楽があまり好きになれないことが多かった私にとって、ボーカロイドとの出会いは革命であった。

 

それから私はYouTubeと出会い、ほどなくしてニコニコ動画と出会った。

ニコニコ動画は私の人生を変えたといっても過言ではない。その流れ出るコメントに当時中学生の私の青春すべてが刻まれている。

色々なことがあってテニス部を中退(笑)した私がインターネット漬けのオタクのような存在になって両親は快く思わなかっただろう。

オタクになって、インターネットと出会って、私の交友関係は明らかに変わってしまった。

前述した通り、当時はまだオタクコンテンツに対して風当たりが強く交友関係はかなり狭まった。高校に入学するころにはオタクであることやインターネットの民であることを隠すようになった。

私は、恋愛の話をして、プリクラをとって、流行りのスイーツを食べて、流行りの音楽を聴いた。一方で受サロで私文を擁護し、ヤフーブログで1人5役を演じ、不思議ネットの「異世界に行く方法」を毎日試し、ニコ動で弾幕をつくり、スクフェスとチェンクロをやりこみ、ツイキャスで推し配信者にお茶を送りまくり、夢小説を書いた。

そんな毎日が充実していた一方でとても苦しかった。

しかし、そんな時代は終わった。今やオタクは多くの場面で受け入れられている。

私は今、Instagramで映えを狙いながらTwitterでバズを狙っている。好きな音楽を堂々と聴けるし、動画鑑賞が趣味であることはもはやありきたりである。

 

このことは大変喜ばしい。だが、当時私のことを陰でキモオタクと言っていた人間が「領域展開」のポーズをしたプリクラをとって、米津玄師の曲を聴き、ドヤ顔でMacbookを持ち歩くことにいら立ちを隠しきれないのは陰キャの性なのだろうか。

 

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」