前髪を切りすぎたときの心境

この記事はJsys Advent Calendar 2019の13日目の記事です。

みなさんこんにちは。handari.coです。学園祭実行委員会情報メディアシステム局映像部門企画担当でした。

 

はじめにタイトルの話をしますと、実際私と会う機会があればお気づきだった方も多いと思うのですが、9月末日に私は前髪を切りすぎました。

切りすぎた前髪

朝が早く、ねぼけていました。この通りです。もう2度と意識が明確にない時には髪を切らないことを誓いました。*1

自称仲のいい友人から、話したことのないクラスメイトまですれ違うたびに私の前髪を指摘して笑っていました。人気者になれて良かったです。

みなさんも、前髪を切るときはくれぐれも気をつけましょう。

 

では、おやすみなさい。

 いい子が寝たところで本題のポエムです。よろしくお願いします。

長くて気持ち悪いポエムです。そこは了解して読み進めてください。

いまから、好きな言葉について半生を振り返りながら自分語りします

アイデンティティアイデンティティ*2言っていますが、そんな私の好きな言葉は

It better to be a pig satisfied than a human being dissatisfied;
better to be a fool satisfied than Socrates dissat isfied.

というものです。これはJ.S.ミルの名言

満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよく、 満足した馬鹿であるより不満足なソクラテスであるほうがよい。

というものを自分で勝手に改変したものです。つまり、井の中の蛙で何が悪い、私は井の中でお姫様になるので放っておいてください…アイデンティティ?クソくらえ!ということですね。*3

 

この言葉が好きな理由について、お話しします。

私には人に誇れる特技がありません。誤解を恐れずに言うと、大学ではどこでも学べること学んでいて、就職の希望はだれでも目指せる地方公務員です。

なぜこのような進路選択をしたのかと聞かれても分かりません。

ボーっとレールに乗っていて、気づけばとにかくみんなから遅れを取らないように必死に走り続けていました。まぁ実は一浪していて、結局遅れを取ってしまったんですが。

 

そんな中で、合理化のように井の中の蛙で何が悪いんだ、満足な愚者で何が悪いんだ、と思うようになったんですね。これは負け惜しみとか、適応機制なのかもしれませんです。

自分の今までの生き方を正当化してくれるこの言葉が、私の自尊心をいつも守ってくれる。だから好きな言葉だったんです。

 

自分を正当化するために、不満足な人間*4をあざ笑ってきました。志望校を目指して二浪*5する連中や、真面目に授業を受けるクラスメイト。誰も見ていないところで掃除をしてくれる同僚や、イートインコーナーで使った後のテーブルをきれいに拭く友人。みんな損をしていて、かわいそうだと思うようにしていました。報われないのになあ、と思うようにしていました。

 

彼らに私は、幼少期の自分の残像をみていたように思います。

 

自分語り(幼少期編)をさせてください。私は自他ともに認める「いい子」でした。誰も見ていないところで掃除をして、自分さえ我慢すれば場が回ると判断したときには自己を殺して生きていました。*6

しかし、要領の悪い「いい子」の私は損をしてばかりでした。どこにでもいるような井の中の蛙とか、満足な愚者が、とても要領の良い人間に見えました。

 

私は、「それ」になりたくなりました。私は、その時私自身を不満足な豚だと思っていました。(あるいは不満足な人間であるといわせてほしい…)

不満足なソクラテスたちもたしかにいました。自分の上位互換は彼らであることを少しは分かっていました。でも、私にはそこまで頑張る気力がありませんでした。

今思うと、「そこまで頑張れないと思った」のが、私の満足な愚者のスタートだったのかもしれません。

 

そこからはなるべく楽をして生きてきました。でも今でも少し、いいひとぶってしまいます。(しかしこれは「いい子」のためではなくて、周囲から好かれたい気持ちからきていることだと思うので、気質が違う気がする)

上記の言葉も超お気に入りでした。

 

しかし最近はこれでいいのか、と考えます。これはJsys*7に入ったことが大きい原因だと思っています。

ここは不満足なソクラテスたちの巣窟でした。

彼らは私に見たくなかった大海の景色と、単に生きるのではなく善く生きることの誇らしさを眩しいまでに見せつけてきやがりました。

彼らは井の中の蛙の私よりもはるかに生き生きとしているように映りました。*8

 

私にとって、この出会いを良いものにしたい。

J.S.ミルの言葉には続きがあります。

満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよく、 満足した馬鹿であるより不満足なソクラテスであるほうがよい。

そして、もしその馬鹿なり豚なりがこれとちがった意見をもっているとしても、 それは彼らがこの問題について自分たち側しか知らないからにすぎない。 この比較の相手方は、両方の側を知っている。

 

 私は、今はすこしだけ、「そっち側」の人間になりたいなぁと思っています。

 

おわり。気持ち悪いポエムを最後までお読みいただきありがとうございました。 

読者の皆様と私と関わったすべての人*9に幸多からんことを…

 

では。

 

*1:美容院に切りに行くのがいいと思います。1000円もしないです。

*2:聴いて、どうぞ

*3:私が勝手に改変したほうの私の勝手な解釈です。ご了承ください。

*4:ここで言う不満足な人間とは、確実な効果を期待できなくても努力を続ける人種。

*5:いや、一浪目は普通にどこも受からなかったので仕方なしだっただけです。

*6:幼稚園のお遊戯会ではお姫様役がやりたかったけれど、捕虜の役をやりました。小学校の演劇ではお姫様役がやりたかったけれど、おばあちゃんの役とおじいちゃんの役を一人でやりました。中学校の学校祭ではお姫様役が(ry

*7:学園祭実行委員会情報メディアシステム局のこと

*8:彼ら自身は、自らを井の中の蛙のように思っているのかもしれませんが、少なくとも私の住んでいる井よりも大きい井だったのでしょう、それは、私にとっては大海です。

*9:自称サバサバ系で、すぐ泣いて人のやりたいことを奪う女を除く(これは同族嫌悪なのか日々考えている)